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宗教信仰 top

昔、木里チベット族地区には大規模の行事を行うことができる寺がない。しかし、仏教が広く伝わっている。特に蔵伝仏教ガ挙派がここでは大きな影響を及ぼした。その統治中心地が雲南麗江にある。また、ベン教が群衆に深く信じられている。人々は右手で精巧で綺麗な転経筒を挙げていて、「六字真言」を口に出しながら、瑪ネ堆と仏塔を順行して回る。布施を乞いに来た外地のラマに鬼を追い払ってもらい、吉凶を占う。そのほか、人々は規模が大きくない寺に雪崩れ込んで、自分が信じている仏像の前に置かれる長明ランプにバターを入れ、仏像に真っ白い哈達を捧げて、仏に幸福を賜るようと祈る。
約1580年から、三世達頼弟子却傑?松賛嘉措が木里に来て蔵伝仏教格魯派の教義を広く伝わる。それ以来、木里チベット族が格魯派を信じ、格魯派の法典を守るようになった。解放前まで大きな寺が三軒、小さな寺が十八軒がある。そのうち、木里大寺がもっとも有名。大部分の僧侶が当地のチベット族区域のチベット族、モンゴル族と納西族の人である。
年中宗教行事が十三つもある。毎月に廟の縁日がほとんどある。廟の縁日になると、人々はそれぞれの地区の寺の前に集まってラマのお経を読むのを聞き、「三宝」に幸福を祈る。ここでは、チベット族の人が結婚式をあげる時と子供に名をつける時に、ラマにお経を読んでもらって、幸福を祈る。病気になったら、ラマにお経を読んで病魔を追い払ってもらう。家の人がなくなったら、ラマに死者と施主の功徳を増やしてもらう。毎朝、自分の屋根で海螺を吹いて神様を祭る信者もいる。お茶或いはお酒を飲む時、まず「三宝」にさしあげる。日常生活では「二十一度母賛」と「四皈依」を読むのが大好きである。ラマが仏事行事を司会する。そのほか、牧畜を殺さない。

 
葬 式 top

チベット族は全人民が信教する民族であるので、葬式が極めて濃い宗教色を備えている。地理環境によって、木里チベット族の地区では火葬と水葬が主になっていて、広野へ運ばれた死体が鷲などに食われるという方法で死体を処理する場合が少ない。活仏と品格が高く声望がある人だけ、死後塔に埋葬される。しかし、死者の誕生日と十二支によって、高僧が葬儀と出棺の日を占うという共通点がある。普通、各村には共同墓地がある。会葬するとき、ラマに死者の霊魂を慰めてもらわなければならない。家族と親戚が死者を四十九日も哀悼する。この四十九日の間に、親戚と友達がお酒を一本、哈達を一枚、バターを一塊、米或いは小麦粉を何斤、或いは牛、羊を持って死者の家へ来て哀悼する。親戚と友達が死者に哈達を捧げ、一部分の溶けたバターをバターランプに入れ、ほかのバターとほかのものを死者の家族に贈る。哀悼の間に、死者を悼むために、顔を洗い、髪を梳かし、新しい衣服を着、装身具を嵌め、笑い、大声で話し、歌を歌い、踊りを踊り、結婚することなど、家族がしてはいけない。
当地では、家族が死者に髪を梳かし顔を洗い、柏葉の水で体を洗う。その後、死者に新しい衣服を着、帯で死体を縛り、白い布で死体を包んでから、死体を座らせ、木の板で死体を支え、木製の枕で死体の両端につっかいをする。その後、死体を部屋の角に置く。死体の前で机を置き、バターランプをつけ、机にご飯、何塊の豚の脂身、一椀のバター茶、一椀の黄酒などを置く。死体を一日間家に置く地方があれば、死体を三日間から五日間まで家に置く地方もある。五十日間も死体を家に置く地方もある。
死体が家に置いてある間に、ラマに葬式の期日と葬式の方法を占ってもらう。その後、家族と親友を知らせる。同村の各家の主人公が出棺の儀式に参加する。出棺の儀式が終わった後、死者の家族がお酒と肉で会葬に来た人を労う。当日の夜、死者の家族が「翰帰」に鬼を追い払ってもらう。また、銃を打ち、部屋を掃除し、家から離れた所までごみを捨てるべきである。また、家族は死者の霊魂が早く昇天するために済度する。七日間に一回済度を行う。全部で七回済度する。済度するとき、僧侶にお経を読み、法事をしてもらう。七回目の済度のとき、盛大な祭祀を行う。済度の間に、昼夜でもバターランプがつけてある。多くの人家が四つ辻或いは大通りの側で、石で積もる。その積もったものが麻経石堆と呼ばれていて、塔のような形をしている。また、死者の家の周りと墓地で木製の竿を挿し、竿に五彩で布製の旗をかける。つまり、「達九」と通称されている。
木里チベット族区域では、火葬、水葬が普通で、土葬、塔葬が少ない。当地に鷲などがいないので、死体を野外へ捨てる習俗がない。それらの葬式がほかのチベット族区域のと大体同じである。
歴史の発展、社会の変革、民族文化と地理環境によって、民俗が次第に変わっていく。

 
衣、食、住、交通 top

環境と地域によって、木里チベット族の住宅の建築風が違う。大体碉房、土掌房と木縲子房に分けている。牧畜地区にはテントがある。大部分の住宅は北を背にして南に臨んでいる山元に位置していて、大門が東に向かっている。
稲城県と理塘県に隣接している東朗、麦日、博窩、水洛などの所の住宅がみな碉房で、集まっている。川の砂地の石と泥を混ぜて碉房を建築する。塀の厚さが4尺ぐらいで、屋根が平らである。板で柱を仕切る。普通三階で、一階は牧畜小屋であれば、薪を積もる所でもある。中層は寝室であれば、ご飯を作り、お客を接待し、飲食する場所でもある。中層の中心的な部屋は幅が5メートルあまり、長さが十何メートルもあって、百人をも入れる。室内の飾り物は決まりきった置きかたがある。室内には床板が敷いてある。暖を取るために掘った窪みがある。窪みが長方形をしている。窪みの中に鉄三脚が置いてあり、窪みの上方の壁の中に香炉が置いてある。女性と主人が窪みの左、男性が窪みの右、来客が窪みの右に座っているべきである。上層は物干しの場所である。裕福な家庭の住宅の上層には色彩のペンキが塗られた精緻な仏堂もある。仏堂には金製或いは銅製の仏像が祭ってある。一階、二階と三階の間には木の板で作った階段或いは手すりのある階段がある。軒の梁には花鳥と竜の頭が彫刻されている。屋根には木製の竿が挿してある。竿のいただきの装飾が「克漲」と呼ばれている。竿には赤い、黄色い、白い、緑色の布製の旗が掲げてある。旗にはチベット族の仏経内容が書いてある。物干しの場所、つまり上層には「塔松」も設けられている。毎朝、柏の葉に糌粑、清水或いは酒を入れて焼香し、海螺を三回吹いて、神様の庇護を祈る。
土掌房は構成が簡単で、単層で、屋根が平らである。石の塊で造る。屋根が泥と土で造ったものである。人が部屋に住んでいる。庭が牧畜と家禽小屋であれば、雑物を蓄える場所でもある。
木縲子房が木製である。牛のくそ或いは粘土で隙間を塗りつぶす。屋根が普通木の板に覆われている。石板に覆われている場合もある。四角には丸い柱が立っていて、真中に方形の柱が立っている。薪で塀を築く。解放後、牧畜業に携わらないで、農業に携わるようになった人がいる。それによって、牧畜地区には石の塊で塀を築いた二階の住宅がたくさんできた。
バター、糌粑、牛肉、羊肉、チンコ酒と乳製品のほか、木里チベット区域ではとうもろこし、小麦、大麦、蕎麦、チンコをも産出する。雅グン江、理曲と納曲流域では水稲を産出する。採集と植えた蔬菜がある。採集した蔬菜は野生と茸などで、食用と贈与のほか、大部分の茸が市場で売られている。植えた蔬菜は白菜、青物、かぼちゃ、韮、大根などである。当地のチベット族の人が水牛、魚、馬、騾馬、驢馬と犬の肉を食べない。しかし、今、習慣が次第に変わってきた。魚肉と水牛の肉を食べない老人がいるのに、多くの所では魚を食べるようになった。
肉類のうち、「豚の脂身」の質がもっともよいと当地のチベット族の人に思われる。豚の内臓と骨を取り出して、様様な調味料を入れて、縫い合わせてからぺちゃんこに押す。この作りかたで作った肉が美味しく、長い時間保存できる。
バター茶の作り方が特徴を備えている。ひとつまみのお茶を「甲布」(陶製のもの、黒い、底が大きく口が狭い、取ってが広い)の中に入れて、沸かして濃い汁に煮詰めて、「甲擦」(竹で作った漏斗)で濾過してから、長さ約1メートル、直径10センチメートルの木製の「甲董」(お茶を入れる桶)に入れて、酥油、塩などを入れてから、力を入れて上から下まで揺り動かす。それによって、バター茶ができた。鍋荘に敬意を表してから、お茶を茶碗に盛って飲む。
酒の作り方が康区のほかのチベット族と同じである。お酒が飲み物として当地のチベット族の人に一番好まれている。新年と祝祭日の時、お酒が欠かせない。木里チベット族が客好きで、お客にバター茶を三碗、黄酒を四碗捧げる。お客が応じなければ、主人が喜ばない。一つは主人はお客が彼を尊重しないと思うからである。もう一つは主人は自分のもてなしが行き届かないと心配するからである。
木里チベット族の女の服装は極めて特徴を備えている。男の服装は四川のチベット族の男のと大体同じである。男は白い或いは黄色いワイシャツを着ていて、短く身頃が大きい上着とチベット族風の長い着物をしている。腰を締める帯が腰の後に結び付けられ、帯が五寸足らず垂れている。腰の右側に刀をさしている。刀には竜、花、動物などが彫刻されている。刀が身の周りの品で、他人に悪意がなく、家にも放さない。裕福な男の腰には銀製の財布が締めてある。左の肩に金製或いは銀製の「呷烏」がある。「呷烏」の中に活仏の様様な珍しい宝物と活仏の舎利などが入っている。「呷烏」を肩にすると、鬼を追い払うことができる。だぶだぶなズボンを穿いている。夏と春に、短いブーツを穿いて、ゲートルを巻いている。冬に、長靴を穿いている。長い髪を蓄える男がいれば、若干の小さなお下げを下端で太いお下げに編む男もいる。耳には宝珠が嵌めてあった耳輪、首にはネックレス、手首にはブレスレット、指には指輪がある。今、僧侶のほか、大部分の若者が短髪をしている。彼らは帽子をかぶるのが好きである。金色のへり或いは幅広いへりがつけてあった帽子、狐の皮或いは野良猫の皮で作った帽子など。
木木チベット族の婦人が服装を大切にする。十五、六歳から、髪を蓄える。未婚の女の子は百本の小さなお下げをしていて、糸でお下げとお下げを繋いでいる。既婚の女は二本の長いお下げを頭のてっぺんに巻いている。どんな形の髪でも、宝石、珊瑚、琉璃などの宝物が嵌めてある。女はほとんど耳輪をつけている。耳輪は二種類に分けている。一つは金製のもので、下の部分には小さな珊瑚がある。もう一つは銀製のもので、三部分に分けていて、一部分あたり小さな珊瑚が嵌めてある。ネックレスには金製或いは銀製の三輪の花が嵌めてある。象牙或いは銀製のブレスレット、金製、銀製の指輪をつけている。季節と地区によって、女の服装が違う。「納竹」、「蓋礼」、「奪顕」など。「奪顕」は原料が太い綿糸で作った紫色の布或いは黒い布が主になっていて、襟が高く広い。襟と袖に赤い、黒い、緑色、紫色のふちどりをしていて、裾には5寸ぐらいのふちどりをしている。着物の後腰には上げが多い。後ろの腰には赤い帯が締めてある。桃という形をしていて、銀製の円盤を帯に吊るして、ひつつなぎの鈴を円盤に吊るす。銀製のくさりが右腿の膝まで垂れている。腰には精巧で小さな刀が挿してある。「支康宝」(チベット族風の靴)を穿いている。靴底は牛の皮で作ったもので、厚さが寸あまりある。解放前、裕福な人だけ「支康宝」を穿く。「蓋礼」は鮮やかで、絹で作ったもので、後腰には上げがない。左の身頃が大きく、右の身頃が小さい。腰には赤い、緑色などの絹製或いは普通の布で作った帯が締めてある。
女はどんな形の長い着物をしても、腰には鮮やかで、図案が綺麗で、氆氇で作ったエプロンを締める。生活水準の向上につれて、エプロンの質が次第によくなってきた。たとえば、エプロンに虎、豹、カワウソの皮でふちどりをする。また、今、チベット族の若者は特に都内に生活を暮らしている若者の身なりと髪型が現代的に見える。
旅立つ前に、木里チベット族の人が陰陽に伺いを立ててなければならない。必ずめでたい日に出発。もしめでたい日に出発できなかったら、出かけようとする人は荷物を友達の家に預かり、或いは友達の家で一泊して戻る。家を出たとたんに、水が入っていない水桶を背負う人にあったら、或いは烏の鳴き声が聞こえたら、悪い兆しだとチベット族の人が思う。普通午後前に旅立つ。
解放前、木里の交通がとても不便で、主に人力で運送する。担いで物を運ぶ習慣がなく、主に騾馬で物を運ぶ。普通各家には騾馬が一匹がいる。川を渡る工具は豚槽船、牛皮船、羊皮船、水皮袋、筏と木製の船で、粗末であるのに、人と物を載せることができる。

 
伝統的な祭り top
 
全国的な或いは全県的な祭りのほか、木里チベット族が地方的な祭りをも行う。そのうち、もっとも重要な祭りが二つある。一つは「新年」(チベット族の暦)で、もう一つは木里チベット族の古い祭りで、「俄喜祭り」と呼ばれている。
「新年」(チベット族の暦)がもっとも盛大な祭りで、チベット族の暦では毎年の正月の一日から始まり、何日間も続く。チベット族区域によって、祝う方法と雰囲気が違う。木里チベット族自治県では、ほかのチベット族区域より当地の立春が早いので、新年の規模がわりあい小さく、盛大ではない。新年の間に、五彩の法衣を着ていて、鶏冠のような黄色い帽子をかぶっていて、様様な仮面をかぶっているラマが各自の寺で法事をする。ラマがお経を読んだり、喇叭を吹いたり、太鼓を叩いたり、どらを打ち鳴らしたり、各種類の神霊と鬼に扮装して踊りを踊ったりする。それによって、本年のすべての妖怪変化を追い払い、五穀が倉にいっぱいあり、万事順調で、功徳円満と祈る。見に来る村民が多くて、その場面が非常に壮観である。
解放前、木里では、社会地位によって順次に「新年」を祝う。八爾旦那一家が最初に「新年」を迎える。(八爾旦那一家が木里では唯一で最大の世襲貴族)。旧暦の十二月七日に、八爾旦那一家が「新年」を祝う。それが済んだら、ほかの人が「新年」を祝う。
「俄喜祭り」が木里チベット族の伝統的な祭りで、旧暦の十二月七日に行う。「俄喜祭り」の由来について一つの伝説がある。昔、チベット、雲南の阿哲、譲甲、草坂、八爾などの8つのチベット族支系が木里の辺りの豊かな所に引っ越してきて、十二月の七日に定住してきた。この日の夜、新月が空にかかって、人々は一緒に集まって、歌を歌ったり踊りを踊ったりしていた。その日を記念するために、「俄喜祭り」を行うようになった。
毎年の旧暦の十二月になると、木里チベット族の人々が大晦日のために忙しくなってくる。彼らは手を尽くして旧正月用の品々を準備しておく。正月にお客をもてなすために、豚を殺し、豚の脂身を作り、黄酒を醸造し、食品を作る。大晦日の二日前、部屋を掃除し、飾る絵を張り、壁を白く塗り、台所の壁の真中に干したメリケン粉或いは石灰粉で「八吉祥章」を画き、大門に石灰粉で吉祥と永久に変わらないことを象徴する符合を画く。長生き、五穀豊作を祈るために、自分の家の梁と柱頭に石灰粉で白い点をたくさん画く人もいる。
大晦日の一日前、各家がうどんを食べる。除夜に松毛と敷物を敷き、「カ賽」と胡桃などの供え物を並べ、バターランプをつけ、線香を立て、海螺を吹いて神様と祖先を祭る。一家揃えて「カ賽」を食べ、黄酒と焼酎を飲み、豚の脂身、米の飯或いは麦で作ったお菓子などを食べる。同村の人々の間では、だれか除夜の晩御飯を先に食べたら来年に万事順調という習慣がある。
正月の一日(旧暦の十二月七日)に、婦人が朝早く起きてから、井戸から新年の最初の水を汲む。一家がお互いに祝い、若いものが年長者におじぎをし、年長者が若いものを祝福し、お互いにチンコ酒を勧める。ドアを閉めて楽しく集まって、吉祥でない話をしない。しかし、所によって、習慣が違う。ある所では、正月の一日に、雄鶏がまだ時を作らないうちに、少年少女が顔を洗ってから新しい着物を着る。雄鶏が一回目に時を作るとき、黄酒、胡桃などの供え物、松毛、柏線香がたいてある香炉を持っていて、海螺を吹いて家を出て井戸へ行く。井戸のそばで線香を立てて神様を祭り、お菓子、果物を食べたり、お酒を飲んだりする。その後、井戸水を一缶持って家へ帰る。一家がお酒を飲み、お互いに祝う。夜明けにならないうちに、各家が三回線香を立てなければならない。
翌日に、同村の若い男が馬に乗って全村共有の線香立てで線香を立てに行く。帰るとき、競馬をする。この日から、同村の人の間では宴を張ってお互いにもてなす。この日に家を出ない人もいる。
三日目に、庭或いは空地を選んで、ラマにお経を読んでもらい、各家が食べ物と黄酒を出してピクニックし、レスリング、矢を射る、鍋荘を踊るなどの娯楽活動を行う所がある。この日から、お客をもてなし、家を出て山を回ったり歌を歌ったり、踊りを踊ったりする所もある。
正月の十五日に、ある所では、山を回って、来年に気候が非常に順調で、五穀が倉にいっぱいあると祈る。
以上の伝統的な祭りのほか、宗教的な祭りがある。祭りによって、慶賀の内容と形式が違う。要すると、祭りになると、宴を張って親戚と友達をもてなす。それによって、飲食を大切にする習慣をつけるようになってきて、惜しまずに飲食にお金を使う。宴を張ってお客をもてなす時に、出費が多かったら自分の驕りだと思う人もいる。